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シャンタル・アケルマンが、遺作となった『No Home Movie』(2015)にも出演していた最愛の母が亡くなったあと、後を追うかのように天へと旅立ってからもう7年が経とうとしているが、これまで『ゴールデン・エイティーズ』(86)など数作を除いて、その作品が劇場公開されてこなかったここ日本で、ようやく彼女の代表作にして傑作『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』(75)をはじめ、一挙に5作品が観られるようになったことは喜ばしい限りだ。
それにしても、なぜアケルマンの紹介がこれほど遅れたのか。一つには、彼女が、特に初期において、商業主義に背を向け、実験映画やドキュメンタリーを作り続けていたことにあるだろう。ところが、彼女はその後一転してエンターテインメント作品を手がけるようになり、さらにはテレビやビデオ、インスタレーションにまで作品の領域を広げるなど、その作家性や全体像が掴みにくいところがあったからかもしれない。
しかし、一見バラバラのように見える今回の5作品も、アケルマンの作品に触れれば触れるほど、やはりアケルマンとしか言いようのない作家の刻印を感じることができるはずだ。彼女のメンターの一人でもあったジョナス・メカスも、仏「リベラシオン」紙のアケルマンの追悼特集で次のように語っていた。「彼女の作品はすべて巨大な叙事詩のようなもので、すべてのパーツをつなげることができる」。このささやかなテキストは、その一助となることを目指したものだ。
シャンタル・アケルマンは、1950年6月6日にブリュッセルで生まれた。両親はベルギーに移住してきたユダヤ系ポーランド人で、母や母方の祖父母はナチスによりアウシュヴィッツに強制連行され、母だけがショア(ホロコースト)を生き延びた。母はその時の恐怖について亡くなるまで多くを語ることはなかったが、むしろその沈黙がアケルマンに終生重くのしかかり、家族の歴史の空白を埋めるかのように、彼女は代替的な物語を創作するようになった。そのような意味では、直接的・間接的を問わず、彼女の作品にはすべてショアが大きく影を落としており、一方で創造の源泉にもなってきたのだ。
そして、アケルマンは15歳の時に、その後の人生を決定づける映画と出会う。ジャン=リュック・ゴダールの『気狂いピエロ』(65)だ。そこから彼女は映画作家を志し、高校を中退してINSAS(国立舞台芸術・放送技術高等学院)に入るが、そこもあまり長く続かず、正規の映画教育をほとんど受けることなしに、18歳の時に「初期衝動」から生まれたような短編『街をぶっ飛ばせ』(68)を撮る。この映画は、アケルマン自身が自分の部屋の中で、家事をパロディにしたような奇態な行動を取ったあと、『気狂いピエロ』よろしく部屋を爆発させてしまうというパンキッシュなバーレスクなのだが、この処女作には、「思春期」ならではの孤独や苦悩、「家事」や「ジェンダー」に対する批評性、また映画の舞台となりその頃の彼女自身のメタファーともなっている「部屋」といった、その後の『私、あなた、彼、彼女』(74)や『ジャンヌ・ディエルマン』に繋がるようなテーマの萌芽がすでに見られるのだ。
その後、アメリカの実験映画に強い関心があったアケルマンは1971年にニューヨークに渡る。そして彼女は、メカスらが創設した「アンソロジー・フィルム・アーカイブス」で、メカスの「日記映画」、マイケル・スノウの「構造映画」、イヴォンヌ・レイナーの「ダンス映画」などを発見する。中でもスノウの360度パンによって山岳地帯を縦横無尽に捉えた『中央地帯』(71)に感銘を受けたアケルマンは、ニューヨークで撮った短編の『部屋』(72)でそれを応用した。また、同じくスノウの『波長』(67)などで使われていた定点観測のような長回しは、『ジャンヌ・ディエルマン』など70年代のアケルマン映画において特徴的な話法となる。そして、これらの作品で主に撮影を担当したのが、レイナー作品で知られるバベット・マンゴルトだった。
そのあと、彼女が1974年にベルギーに戻って撮ったのが、『私、あなた、彼、彼女』だった。主演はアケルマン自身で、『街をぶっ飛ばせ』の延長線上で撮られたような映画だが、ここでアケルマンはついに「部屋」(「主観の時間」)から屋外に出て、行きずりの男と知り合い(「他者の時間、ルポルタージュ」)、元恋人の女性の部屋に押しかけ性交渉に及ぶ(「関係の時間」)。それまで部屋の中で自己完結していた世界が、ジェンダーやセクシャリティの問題を絡めながら、社会や世界へと広がり出したのだ。
そして、そんなアケルマンが次に撮った作品こそ『ジャンヌ・ディエルマン』だった。アケルマンが言うところの、これまでの映画では不可視であった、「イメージとイメージの間」に存在する「家事」を、ニューヨークで培った定点観測的固定撮影によって、つぶさに観客の目に晒し、これまで主に女性が担わされてきた、時に労役ともなる「家事」の単調なリズムが狂った果てに悲劇が起こりうることを、若干24歳のアケルマンが暴いて見せたのだ。これはまさに「フェミニズム映画」とも言うべきもので、世界の各メディアや批評家がこぞって絶賛した。そして、その主婦を演じたのが、実際に女性解放運動のアクティヴィストでもあったデルフィーヌ・セイリグであった。
そして、アケルマンはいよいよ映画内において、「部屋」どころか国境をも越える。セイリグの紹介(アケルマンの後期を支えた編集のクレール・アテルトンもセイリグの紹介)で知り合ったオーロール・クレマンを、映画監督役として自分の分身に据え、あたかも自分の父母や祖父母たちが辿ってきた苦難の道をなぞるかのように、ドイツのエッセン、ケルン、そしてブリュッセル、パリへと列車の旅をさせる『アンナの出会い』(78)を撮る。その後、クレマンは、7作ほどアケルマンの作品に出演する最大の共犯者となった。また、こうした「ディアスポラ」(移民)をテーマにした作品の系譜は、ベルリンの壁が崩壊した後の東欧からの難民の移動をひたすらトラベリングで追い続けた傑作『東から』(93)から始まる4部作のドキュメンタリーにも遠く続いていくだろう。
ところが、80年代に入ると、アケルマンの映画はガラリと変わった。『ゴールデン・エイティーズ』が象徴的だが、それまでストイックなほどミニマルな映画を作っていたアケルマンが、ダンス、ミュージカル、コメディのようなポップな映画やテレビ作品を作るようになったのだ。その結果、フィックスによる長回しにあれほどこだわっていたアケルマンが、徐々にカットを割るようになり、それまで全く見られなかった切り返しのショットを使うなど、映画の話法を増やしていった。
そして、アケルマンは90年代に入ると、いよいよ満を持して、『ジャンヌ・ディエルマン』の頃から構想していたマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』の第5・6篇の映画化『囚われの女』(2000)に着手する。このアルフレッド・ヒッチコックの『めまい』(58)をベースにしたような、スタニスラス・メラール演じる主人公シモンが半ば軟禁状態においている恋人、シルヴィ・テスチュー演じるアリアーヌへの常軌を逸した妄執を描くには、例えば「見る/見られる」関係を表象する映画的話法である切り返しのショットなどは必須だ。アケルマンは、いわばこの作品を撮るための様々な話法を獲得するために、80年代から90年代にかけて、あえて多種多様な作品にトライしてきたと言っては言い過ぎだろうか。その撮影は、マノエル・デ・オリヴェイラの作品で知られるサビーヌ・ランスランが担当した。
またアケルマンは、その約10年後に、今度は、19世紀後半の植民地下のボルネオ(映画のロケ地はカンボジア)を舞台にしたジョゼフ・コンラッドの『オルメイヤーの阿房宮』の映画化に挑戦する。そして、現地の女性との間に生まれた混血の娘ニナに過度に執着する白人の没落商人オルメイヤーを演じるのは、またしてもメラールだ。水のイメージがどこか「死」を連想させるという意味でも『囚われの女』を彷彿とさせるこの映画で、オルメイヤーの妄執を表象するのは、今度はトラベリング・ショットだ。夜のジャングルで娘を追いかけるオルメイヤーを滑るように捉え続けるカメラは、『東から』で卓抜な移動撮影の才を見せたレイモンド(レモン)・フロモンの手によるものだ。
この2本の映画は、どちらもメラールの妄執を描いた文芸作品と言うこともできるが、男性の抑圧下にある二人の女性の自由を求める逃走劇と見れば、俄然「フェミニズム映画」にも見えてくるし、また、この二人の女性は、家族の背負ってきた歴史やジェンダーの問題で苦悩していたアケルマンの10代の頃とどこか重なりはしないだろうか。彼女は映画という武器を手に、「部屋」から「屋外」に、そして「世界」にその領域を広げていった。だからかアケルマンは、『オルメイヤーの阿房宮』(2011)では、そんなニナに旅立ちのシーンを用意する。そこでニナがカメラを見据えながら歌うのは、モーツァルトの聖体讃美歌「アヴェ・ヴェルム・コルプス」。それはまさに、今新しく生まれ出た(生まれ変わった)生命を寿ぐ歌だった。
公開日 | 地 域 | 劇場名 |
---|---|---|
北海道 | ||
上映終了 | 札幌市 | シアターキノ |
東 北 | ||
上映終了 | 仙台市 | チネ・ラヴィータ |
上映終了 | 山形市 | フォーラム山形 |
上映終了 | 福島市 | フォーラム福島 |
関 東 | ||
上映終了 | 渋谷区 | ヒューマントラストシネマ渋谷 |
上映終了 | 武蔵野市 | アップリンク吉祥寺 |
上映終了 | 世田谷区 | 下高井戸シネマ |
1月7日 | 新宿区 | 早稲田松竹 |
上映終了 | 江東区 | Stranger |
上映終了 | 横浜市 | シネマ・ジャック & ベティ |
上映終了 | 川崎市 | 川崎市アートセンター |
上映終了 | 柏市 | キネマ旬報シアター |
上映終了 | 高崎市 | シネマテークたかさき |
甲信越静 | ||
上映終了 | 長野市 | 長野ロキシー |
上映終了 | 松本市 | 松本CINEMAセレクト |
上映終了 | 上田市 | 上田映劇 |
上映終了 | 静岡市 | 静岡シネギャラリー |
中部・北陸 | ||
上映終了 | 名古屋市 | 名古屋シネマテーク |
上映終了 | 富山市 | ほとり座 |
上映終了 | 金沢市 | シネモンド |
関 西 | ||
上映終了 | 大阪市 | テアトル梅田 |
上映終了 | 大阪市 | シネ・ヌーヴォ |
上映終了 | 京都市 | 出町座 |
上映終了 | 神戸市 | cinema KOBE |
上映終了 | 京都市 | 京都みなみ会館 |
中国・四国 | ||
上映終了 | 岡山市 | シネマ・クレール丸の内 |
上映終了 | 広島市 | 横川シネマ |
上映終了 | 尾道市 | シネマ尾道 |
近日公開 | 松山市 | シネマルナティック |
九州・沖縄 | ||
上映終了 | 福岡市 | KBCシネマ |
上映終了 | 熊本市 | Denkikan |
上映終了 | 大分市 | シネマ5 |
1月7日 | 大分市 | シネマ5 |
上映終了 | 那覇市 | 桜坂劇場 |